『田園の詩』NO.36 「新鮮な空気」 (1995.12.12)



 山里は、風のない良く晴れた日の朝には、あたり一面の霜になります。田圃にきれい
に並んだ稲の切り株にも、畑の野菜にも、道端の枯れた草にも、触れば鋭い氷の針が
手に刺さるかと思われる程、霜はビッシリと付着しています。

 ビィーンと張り詰めた様な空気の中を、山の稜線からお日様が光を射すと、今度は
キラキラと輝き始めます。やがて、陽光を充分に受けると解け始め、蒸気となってユラ
ユラと天にのぼって行きます。

 立ち上る蒸気の中を、中学生の長男は自転車で、小学生の二男は歩いて登校して
います。私は「見送り散歩」と称して、犬を連れて二男と一緒に家を出て、途中まで
送り、そこから田圃の中と小川の側の道を通り、ひと回りして家に帰ることを日課と
しています。


      
    長らく一緒に散歩したシベリアンハスキーの≪ハル≫が、6月に14才で老衰のため
     大往生しました。この写真は私にとって記念すべき大切なものとなりました。
                             (2002.2月頃  御堂義乗撮影)



 私は、晩秋の頃の、霜の降りた朝の空気が一年中で一番新鮮だと思っています。
都会から来られた方が「田舎は自然がいっぱい、空気がきれい」と、ほとんど決
まり文句のように言われます。都会に比べたら、確かに本当かも知れませんが、
田舎で暮らしてみると、いつでもそうとばかりは言えないのです。

 春は、黄砂や杉の花粉で空気は黄色に染まります。夏は、朝からブト(ブエ)や
ハエが飛んだり、牛や鶏の臭いがする所もあります。

 また、稲に農薬をまく時など、風向きによっては家の戸を閉め切って防がねば
なりませんし、田圃の道は数日間薬の臭いが残ります。冬は、山から降りてくる
北風が強くて、外で大きな息をするなんてとてもできません。

 朝日の中、立ちのぼる白い蒸気の向こうに、赤や黄色の紅葉が浮かんで見える
光景は一服の絵の美しさといった方が良いかも知れません。犬の歩みに任せなが
らの散歩の途中で、私は体いっぱいに新鮮な空気を味わいます。

 都会の人にも一度この空気を味わってほしいものです。その時、決まり文句の
言葉など、自分の気持ちを表現するのに物足りなくて、簡単には使えないのでは
ないかと思います。                   (住職・筆工)

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